きみのお金は誰のため by田内 学 を読んで

2024.3.15

ひょんなことからお金持ちのおじいさんのお屋敷に招かれた中学生の少年

このおじいさんに上司からお金の事に関して聞いて勉強してこいと呼ばれた女性

錬金術師と呼ばれた経歴不明のおじいさん

おじいさんにお金のことを教わるという形で3人は

「お金とはなにか」

について語り合う。

お金は無価値?

お金は何も解決できない?

お金は貯めても意味がない?

そんな疑問を通じてお金とはなにか、幸せとはなにか

そして上司の知り合いだと思っていたおじいさんとは実は、、、

本当に大切なものは

だということを、お金と経済から紐解く

そしてお金持ちなおじいさんが本当に伝えたかったことはなんなのか

お金への考え方、世界の見え方が変わるかもしれない

そしてお金の話なのに、若者のやる気を、読者へほんのりとした感動を与えてくれるかも知れない

そんな一冊

以下ネタバレ

お金は無価値、とは

お金は個人のレベルでしか価値がない。本来価値があるのは、自然や資源とそこから作られる製品やサービスであり、お金自体は価値がない。かつて金と交換できたお金は今や物流を生み出すための引換券に過ぎないのである。

お金は何も解決しない、とは

ドーナツとお金、どちらが問題を解決できるか。空腹という根本的な問題を解決できるのはドーナツである。ドーナツを作る人がいて初めて物事が動き出す。ドーナツが欲しい人がドーナツを作る人の求めるものを持っていれば物々交換できるが、持っていない場合はどうする、、、そこでお金の登場である。お金はなんの問題も解決できない、あくまでも経済の誘発、促進、起爆剤となり、人と人が支え合う、できることをお互いにしてあげる、ということのきっかけになるだけのものなのである。

お金を貯めても意味がない、とは

お金を貯めても、水のように流れるべきお金が一ヶ所にとどまるだけである。上記のように、お金がただの人々が交流するための「きっかけ」ならば、本来の使い方は、人々がお互いに必要なこと、できることを与え合うために使うべきであり、これこそが真の投資なのである。そこに価値のあるものが生まれ、助け合いが生まれる。貧富の差が以前よりも大きくなっている、というがそれはあくまで個人が持っている資産の額に目を向けた場合の話に過ぎない。お金持ちも庶民もスマホを持っていて、テレビが見られて、スーツが着られる。かつての「格差」と比べたら人々の生活的格差は俄然埋まってきているのである。

税金や借金というのも、見方次第なのである。税金とは、かつて一部の人々が贅沢や権力のために下々の民衆から取り上げていただけのものとは違う。政府がお金を集め、公共のインフラや、法律などの目に見えない形においても人々の生活を良くするために使っている。人々は払っている税金以上の価値を与えられている事に気づいていないだけなのである。国債についてもそうである。昔の人が作った借金、国が返すべき借金をなぜ若者が負担しているのかと思われることが多いが、先人達が未来の我々のために数々の事業を行う上で必要だった資金なのだ。そこで動いた金が、今現在お金持ちと呼ばれる人々の持ち物になってしまっている。これが国債で動いたお金の終着点というのは悲しい話である。借金についても、先に貸すから将来そのお金の分だけ何かをしてくれ、ということなのである。貿易赤字の真の恐怖はここにある。外国との取引が赤字、ということはいずれ外国のためにその垢自分だけ何かをしてあげなければならないのだ。

ただし、誤解してはいけないこともある。アップルやGoogleなどの会社は極端な見方をすれば、独占的に市場に君臨し他企業を潰し、自分たちだけがお金持ちになっているように見えるかもしれない。しかしながら、人々の生活レベルを底上げし、均一化に寄与した結果がお金の流通につながっているだけなのである。そしてこのような会社は集まったお金でさらに人々の生活を良くしようとする、善の会社と言っていいだろう。このような労働が真に価値のある労働なのである。

本当に大切なもの、とは

それは「愛」である。人のためになにかしてあげたい。これならしてあげられる。この気持ちが全ての始まりであり、この活動にお金がついて回るだけなのである。おじいさんはこのことを女性(娘)に伝えようとしていたのだ。